アプリケーションノート

顕微鏡画像のみからシグナル伝達系を推定する手法を用いたインスリン応答系の解析

2023年10月

新薬のターゲット探索や作用機序解明には、薬剤添加による細胞内情報伝達すなわちシグナル伝達系(パスウェイ)の変化を正確にとらえることが不可欠である。シグナル伝達系は、細胞膜脂質ラフトや核などの特定場所へのタンパク質局在を介して制御されている。また近年では、液-液相分離により形成されるタンパク質の集合体(ドロプレット)が、シグナルの増減や分岐に関与しているという報告もある。しかし、一般的な生化学分析ではタンパク質局在の解析が困難であり、これが薬剤の作用機序の解明が難しいという創薬課題の一因になっている。

これに対して、顕微鏡画像からは、タンパク質局在の時空間的な挙動を詳細に定量化することが可能である。この顕微鏡の特性を利用し、薬剤添加により活性化/不活性化するシグナル伝達系を、顕微鏡画像のみに基づいて推定する技術がPLOM-CON解析法※1である。ニコンでは、この手法を活用して顧客のサンプルの画像取得・画像処理・解析までを受託して行う「シグナルパスウェイ解析サービス」を提供している。

本アプリケーションノートでは、PLOM-CON解析法をインスリン応答の解析に適用した事例を紹介する。

実験の概要と分析手法の原理

顕微鏡画像から細胞内区画(細胞質、核、オルガネラ、足場タンパク質など)を検出し、細胞内区画ごとに各タンパク質の蛍光強度およびタンパク質集合体の形態を、薬剤による細胞刺激後から経時的に測定する。

次に、細胞内区画が介在するタンパク質同士の相関性を分析する。図1(a) では、タンパク質Aの細胞質内での挙動と、タンパク質BのActin集合体内での挙動が相関していることが検出されている。

この結果をネットワーク図(共変動ネットワークと呼称する)として表現する。図1(b)では円がタンパク質を、小さな色付きの点(場所により色分けされている)が細胞内区画を表しており、タンパク質同士が細胞内のどの場所を介して相関しているのかが可視化されている。このネットワークを見ることで、以下の予測が可能になる。

  • 活性化されているシグナル伝達系
  • 薬剤のターゲットとなるタンパク質
  • 特定の細胞内区画に局在するタンパク質群により制御されるシグナル伝達系

適用事例―インスリン応答研究

■ 研究の背景
ラット肝がん由来の培養細胞H4ⅡEC3では、インスリン刺激により一過性にActin集合体が形成され、そこに様々なシグナル分子が集まることが知られている(図2)。しかしActin集合体を生化学的に精製することは困難であり、その細胞内機能は未解明であった。一方、顕微鏡画像からはActin集合体を正確に定量化することが可能であるため、顕微鏡画像を基にPLOM-CON解析を実施した。

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(a)共焦点顕微鏡で取得したActin集合体

Actin集合体(黄矢印)は、インスリン添加後に一過性に形成される。

(b)N-SIM超解像顕微鏡で取得したActin集合体

Actin集合体内にAkt (pSer473)が局在する。
赤:Actin, 緑: Akt (pSer473)、
スケールバー: 5 µm

出典:Noguchi et al ., iScience 24,102724, 2021

■ 共変動ネットワークの生成

インスリン応答に関与するシグナル伝達系から50個のタンパク質を選定し、インスリン刺激後の共変動ネットワークを、アクチン重合阻害剤CK666(−)/(+)の2条件について推定した。図3(a)にCK666(−)の共変動ネットワークを示す。

■ 活性化しているシグナル伝達系の推定

図3(a)に示すCK666(−)の共変動ネットワークからは、インスリン刺激時の血糖値コントロールに関係するタンパク質群(青枠)をつなぐエッジ(相関を表す線)が密であることがわかる。すなわち、図3(b)に示すインスリン応答のシグナル伝達系において、赤矢印の経路が活性化していることを示唆している。

生化学分析を実施したところ、インスリン刺激後にG6PCの発現量が1/4に減弱する一方で、グリコーゲン合成が30倍になったことから、この経路の活性化が確認された。

図3 CK666(−)の共変動ネットワーク解析

(a)共変動ネットワーク

細胞内区画: ;Actin集合体、;核、;細胞質
血糖値コントロール関連のタンパク質群間のエッジが密である。

(b)活性化しているシグナル伝達系

既知のインスリンシグナル伝達系の模式図
赤矢印:(a)の解析結果から活性化が示唆される経路

■Actin集合体の役割

さらに、タンパク質の活動場所に注目した。図3(a)に示す CK666(−)の共変動ネットワークでは、GSK3β(pSer9)はActin集合体内でのみ活動しており(①)、そこを介してAkt(pSer473)と関係を持っている(②)。一方、FoxO1(pSer256)とAkt(pSer473)は核内で関係性を持っている(③)。これらは、図3(b)に示すインスリン応答のシグナル伝達系のうち、グリコーゲン合成経路がActin集合体で生起していることを示唆している(④)。
実際にCK666によりActin集合体形成を阻害すると、以下の生化学分析結果が得られた。
A)インスリン刺激によるグリコーゲン合成が阻害された。
B) GSK3β(pSer9)、GSK3βともに発現量に大きな変化はなかった。
C) 糖新生遺伝子 G6PCの発現量に変化はなかった。
これらの結果から、グリコーゲン合成の経路がActin集合体で生起していることが確認された。
Actin集合体は、液-液相分離で一過性に形成される高次タンパク質複合体であることが示唆されている。このように、本解析法を使用することで、高次タンパク質複合体やドロプレットに局在するタンパク質により制御されるシグナル伝達系を捉えることが可能である。

薬剤添加によるシグナル伝達系の変化を解析

次に、CK666(−)と(+)の共変動ネットワークを比較した。CK666(−)の共変動ネットワーク(図3(a))では血糖値を制御するシグナル伝達系が活性化していたが、CK666(+)の共変動ネットワーク(図4(a))ではタンパク質合成制御のシグナル伝達系を構成するタンパク質群(青枠)をつなぐエッジが密であることがわかる。この結果は、薬剤添加により、シグナル伝達系が血糖値制御からタンパク質合成制御に変化したことを示唆している(図4(b))。

図4 CK666(+)の共変動ネットワーク解析

(a)共変動ネットワーク

細胞内区画: ;核、;細胞質

タンパク質合成を制御するタンパク質群間のエッジが密である。

(b) CK666添加によるシグナル伝達系の変化

既知のインスリンシグナル伝達系の模式図

赤矢印:図3(a)の解析結果からCK666(−)の条件で活性化が示唆される経路(図3(a)参照)

青矢印:図4(a)の解析結果からCK666(+)の条件で活性化が示唆される経路

まとめ

ニコンの提供する「シグナルパスウェイ解析サービス」は、顕微鏡画像を解析することにより、細胞内で活性化しているシグナル伝達系を、その局在情報を加味して推定することができる。共変動ネットワークをアクチン重合阻害剤の有無で比較することにより、インスリン応答シグナル伝達系におけるActin集合体の新しい役割を提唱し、生化学分析では解明が困難であった様々な細胞内変化の可視化に成功した。「シグナルパスウェイ解析サービス」は、化合物の作用機序や疾患メカニズムの解明等にも応用可能なため、創薬、医療、生命科学の分野で研究効率の向上に貢献することが期待できる。

参考文献

Noguchi et al ., iScience 24,102724, 2021
野口 誉之1 ,加納 ふみ2 , 米谷 信彦3 ,岩本 智沙子3 ,山﨑 聖子4 ,大坪 洋介4 ,中津 大貴2 ,國重 莉奈1,2 ,村田 昌之1,2,*
1.東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 生命環境科学系, 2.東京工業大学 科学技術創成研究院 細胞制御工学研究センター, 3. 株式会社ニコン ヘルスケア事業部, 4.株式会社ニコン 先進技術開発本部

用語解説

※1 PLOM-CON解析法(Protein Localization and Modification-based Covariation Network analysis method):

東京工業大学 科学技術創成研究院 細胞制御工学研究センターの加納ふみ准教授、中津大貴助教、國重莉奈特任助教、および東京大学 大学院総合文化研究科の村田昌之教授 (現 東京工業大学特任教授、東京工業大学マルチモーダル細胞解析協働研究拠点拠点長、東京大学名誉教授) 、野口誉之助教 (現 東京大学IRCN) の研究グループとの共同開発